気学の歴史

大自然の力ほど偉大なものはありません。
その自然と共に暮らす中で、古の人々はそこにエネルギーと一定のリズムがあることを発見しました。
太陽の動き、風の流れといったものの中にある法則があり、それに従えば幸運で、それに逆らえば不運になると気ずいたのです。
そのリズムを知り、それを生活に役立てるためにやがてそれは簡素化され、「九星術」「方位術」として発展しました。
そして「易理」を母体とし、「易占」とは全く違う活用法として古い歴史のある占いの一つとなりました。
その「九星術」「方位術」が日本に渡ってきたのが五五二年と言われいています。
欽明天皇の御代に百済との交流が始まり、仏教や仏像・易書・漢方書・暦書などと一緒に、その考えが持ち込まれました。
六〇二年には百済の僧、観勒が「九星術」「方位術」の書を献上し、本格的に日本に入ってきました。
当時は一部の役人のみに伝わったようで、日の目はなかなか見る事はがありませんでした。
その方位術が上流階級でブームになったのは、中国との行き来が盛んになった平安時代の頃です。
「方違え」と言う言い方が残っているように「方位術」に目が向けられるようになりました。
当時の書物の「源氏物語」等にも記述が残っています。
ただ、当時は貴族などの上流階級に限られていたようです。
広く一般に浸透をするのは江戸時代のことです。
当時は家相などにも「方位術」が用いられて親しまれるようになりました。
今での「辰巳の玄関」「戌亥の蔵」などの表現はその頃の名残です。
その後大正末期に、九星術・方位術に数々の創意・創見を加えて「気学」と名付けて発表し、現在に至っています。